2016年4月21日木曜日

NS110って、他と変わってませんか?

 流石に2ヶ月に一回とかは頻度少なすぎると思うのでもうちょっと頑張っていきます。
 前回は昔のニッチなところだったので今回は最近のニッチなところにフォーカスしたいと思います。

はじめに


 今回の記事の出典の多くは潜水艦用高張力鋼 NS鋼について(後編) & オーストラリアが日本の潜水艦技術に興味持ったワケ(dragoner.ねっと)様の記事を多く参考にしました。特に組成の表は書く上で非常な参考になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

まずは規格から


 さて、何はともあれ、ざくっと、日本が潜水艦用高張力鋼として使用しているNS80,90,110の組成及び機械的性質を以下の2表に示します。(いずれも規格値を板厚とかを無視してまとめたものです。


NS80,90,110の組成(規格値)

NS80,90,110の機械的特性(規格値)


また、この機械的特性を耐力について各国潜水艦の高張力鋼まとめwikiにあります潜水艦用鋼材の動向に上書きする形で書きますと、以下のようになります。


アメリカ及び日本の潜水艦用高張力鋼板の強度推移

NS110の耐力が、より規格の数字が大きなHSLA130の耐力より高いのはアメリカがヤード・ポンド法を採用していてksi(klbf/ in^2=6.89MPa)を用いている一方で日本はkg/mm^2(9.8 MPa)を用いているためです。(ヤード・ポンド法やめてほしい

 そんなわけで、日本の潜水艦用高張力鋼は耐力の面において世界トップの値を有していることは広く知られていますが、組織の面の話はあまりみない気がします。そこで、今回はそんなNS110の組成から類推される組織の話ができれば、と思っています。今回NS80,NS90は規格を読む程度で全然調べていないのですが、一般的なNi-Cr-Mo系調質鋼の前提で話します。

組成について


まず表1を見るとNS80,90とNS110の間には組成、特にNiが飛躍的に増大しています。組成と強度の比例関係を見ることはあまり意味が無いのですが、NS80からNS90ではNi量が1 wt.%程度の増加にとどまっているのに対し、NS90からNS110への20 kg/mm2の変化では実に5 wt.%増加しており、降伏強度の増加量に対して倍の変化量になっています。さらに、NS80からNS90では炭素量が増加し、焼き戻し時に炭化物を形成し降伏強度を向上させるMo量も増加しているのに対して、NS110では、炭素量はNS90の<0.12 wt.%から<0.08 wt.%へとより低炭素量へ移行しつつMo量は倍近い量になっています。まぁ、規格がすごい幅もたせているので、規格値でみてもあんまり意味は無いと思いますががが。というわけで製造実績値を持ってきますと、以下の表になります。

NS80,90,110の組成(実績値)


思ったよりちゃんと組成幅の真ん中にいるなぁというのと、以下という指定が来ているC,V,Nbが規定値ギリギリまで来ているのが大変よいですね。

Nbの添加


 NbがNS110から追加されたのは、いわゆるマイクロアロイングと呼ばれるものを目的としたと考えられます。

 一般的なC-Si-Mn鋼では、熱間圧延過程において、Nbの微量添加は絶大な効果を鉄に対して発揮します。まず、圧延初期では、微量の固溶しきっていないNb炭化物が、圧延中に再結晶するオーステナイト粒をピン留めし、オーステナイト粒の粗大化を抑制します。また、再結晶温度以下まで温度が低下した中で圧延を行う際には、粒内に微細析出したNb炭化物が再結晶温度を上昇させます。再結晶温度が上昇すると、熱延中のオーステナイト(前回のγ鉄)中の格子欠陥密度が増加し、オーステナイト粒中のフェライト生成サイトを増加させます。更に、オーステナイト→フェライト変態時のフェライト粒成長による結晶粒抑制も果たし、フェライト結晶粒を微細化することができます。わかりやすいのは新日鉄のものづくりの原点(PDF)とかでしょうか。

 Nb添加に伴うフェライト粒の微細化は溶接を必須とする造船業界に多大なインパクトを与えました。溶接性は、基本的に添加される合金量が少なければ少ないほど良くなります。一方で、強度をあげるためには普通C量を増大させたりMn添加を行ったりと、合金元素を添加することが普通で、材料強度をあげようとすると溶接性が悪くなるというあちらを立てればこちらが立たずという状況にありました。しかし、一般的な範囲では、材料の降伏強度は粒径が小さくなれば小さくなるほど大きくなることが知られており、仮に結晶粒のサイズを従来と同じ組成で小さくできれば、溶接性をたもったまま強度を向上させることが出来ます。ただ、この鋼種は焼入れを行うために、フェライトが途中で析出することはないため、結晶粒微細化による強化という観点ではそれほど大きくはないと考えられます。しかし、熱間圧延中の動的再結晶に伴う結晶粒微細化の程度は、再結晶温度が上昇することで大きくなると考えられます。そのため、焼入れ時のパケットサイズや旧オーステナイト粒界を小さくできるので、靭性に寄与すると考えられます。

Vの添加


Vも同様な効果を持っていますが、固溶状態における再結晶温度上昇率はNbには及ばず、前述の効果はそれほど大きくないと考えられます。しかし、NbCの溶体化温度は極めて高く、0.05 wt.%程度ですでに1000度を超えるため、Nbのみでは炭化物の量を多くすることが出来ません。一方で、Vはそれに比べると緩やかで0.5 wt.%程度まで、溶体化温度は1000度に到達しません。そういうわけで圧延中に析出するMX炭化物の量を大きくするためにVを入れ、フェライト粒の成長を抑えつつ(?)微細炭化物による析出硬化の寄与を大きくしたのかなと思います。こういう鋼は1969年ごろにNb-V系で出ていたかと思います。
 このようにNS110鋼ではNb,Vの添加によるマイクロアロイングが用いられましたが、基本的に、このマイクロアロイングの効果を発揮させるためには圧延温度や圧延率、及び冷却速度の制御が重要であり、このような一連のプロセスを加工熱処理あるいは、英語の頭文字をとってTMCPと呼びます。NS110の規格には加工熱処理を用いても良いと書いてありますが、Nb,Vを添加していて加工熱処理を行わないのはありえないでしょう。

炭素とMo量の比較


 次に、炭素量について見てみたいと思います。炭素は炭化物による析出硬化の有用な元素です。本鋼種の成分のうち、炭化物生成元素としては、Cr,Mo,Nb,V,Feがあります。このうち、Mo,Nb,Vは強い炭化物形成元素で、Mo2CやNbC, V(C,N)などを作りFe3Cには固溶しないので、炭素量とこれら3つの元素について添加量のモル比を取るとそれぞれ、
f(Nb/C) = 1.84 %
f(V/C) = 35.5 %
f(Mo/C) = 162 %
であり、炭素に対して炭化物生成元素が過剰なので、セメンタイトは生成せず、圧延中に析出するMX炭化物および、焼戻し時に析出し焼戻し硬化を引き起こす代表的な炭化物であるMo2Cが、主たる析出硬化を引き起こす炭化物であることがわかります。一つ、疑問として残るのが炭素量に対してかなり過剰となるMo量です。焼入れ時の板厚依存性の低減や焼戻し脆性の低減など固溶原子としても優れた特性のあるMoですが、焼入れ性を向上させるNiが従来より多い割合で入っているにもかかわらず、従来鋼以上に過剰にするというのはどういう効果があるんでしょうか?海水環境中なので隙間腐食や孔食などの影響が大きいところですから、それを防ぐインヒビターとしての添加量を増やしたというもあるかもしれませんが、ちょっとすぐにはわかりません。

Ni量に伴う、状態図における変化

無拡散逆変態オーステナイトでできる組織


 さて、以上Nb,V,Moについて見てきましたが本題のNiについてです。NS110の規格解説7. 試験を読んでいると「強度強化機構として無拡散型逆変態オーステナイトを利用しているため」とあります。前回書いた記事に一度立ち返って考えてみますと、焼入れによって無拡散に(炭化物などの形成なく、母格子と一定の対応関係を保ちながら)マルテンサイト相へ変態するのが無拡散変態でした。その逆ということは、マルテンサイトと一定の対応関係を保ちながらオーステナイト変態を行うということになるかと思います。そのような述べた話として、逆変態によつて生じたFCCマルテンサイト低炭素低合金鋼の逆変態や無拡散逆変態オーステナイトを用いて熱処理することで低温用9Ni鋼の基礎となっている熱処理(の報告)とかがあります。

 このような無拡散型逆変態オーステナイトを生成するためにはある程度高温に保持する必要があります。規格を素直に読むと、この無拡散型逆変態オーステナイトを生成させる熱処理は焼戻しに対応しています。焼戻しに伴い無拡散に逆変態するオーステナイトは、マルテンサイトの格子欠陥を受け継ぎ高い転位密度を持ったまま冷却され、再びマルテンサイト変態を起こします。この逆変態はゆるやかに進行するようで、J.J. Kimの報告では600度100時間の焼戻し後も、焼戻しマルテンサイト中に存在しています。逆変態後は拡散に伴い、炭化物が微細析出しています。マルテンサイト由来の格子欠陥と焼戻しによる微細析出物の影響により、この焼き戻に伴い生成した無拡散型逆変態オーステナイト由来マルテンサイト(すごい用語です)は高い強度を有し、さらに周囲には焼戻しマルテンサイトが存在します。

状態図としてのNi量の特異性


上の段落は実のところ、無拡散逆変態オーステナイトという単語を見なければ鉄炭素系の焼戻しと大差ありません。最後に、以下の図を元に高Niマルテンサイト鋼の焼戻しについて考えて終わりたいと思います。

二相域焼戻し温度とγ中Ni量

 この概略状態図は鉄-Ni状態図だと思ってもらえればよいです。実線はα相(フェライト相)とγ相(オーステナイト相)の相境界で、実線の間はα+γ二相領域になっています。また、二相領域中に存在する点線は、マルテンサイト開始温度の組成依存性を示しています。前回の記事でお見せした鉄炭素系と異なり、共析反応がないために低温までα+γ二相領域は持ち来たされます。つまり、焼き入れ時の本来の平衡相はα+θではなくα+γということになります。つまり、焼戻しの進行とともに旧オーステナイト粒界やその他の粒界を分断するような形でオーステナイトが拡散に伴い通常の析出をします。この焼戻しを行う温度について考えてみましょう。

 ある温度T1で焼戻しを行う時、αと平衡するオーステナイト相のNi濃度は図中赤点になります。T1より少し高いT2点で平衡するNi量は少し減って青点の位置になります。マルテンサイト開始温度はNi濃度に伴って低下していき、ある濃度以上で(ある焼戻し温度T3以下で)マルテンサイト開始温度は室温以下になります。さすがに室温でオーステナイト相が残留しても強度の観点からは困りますので、NS110ではT3以上の温度で焼戻しを行っていると考えられます。その結果、マルテンサイトの構造を受け継いだ無拡散逆変態オーステナイトのマルテンサイトと、微細なα+炭化物と、粒界を分断するように微細に形成されたマルテンサイトからなる組織が得られ、優れた機械特性を持つNS110鋼が出来たと考えられます。

まとめ


まとめます。
NS80,NS90鋼は従来の焼入れ焼戻しによる調質鋼の発展形でしたが、NS110鋼は従来鋼に対し、高Ni量であり、新たにNbが添加されました。Nbはマイクロアロイングを目的としたものでありTMCPの適用を前提とした合金設計になっていることがわかりました。また、Nb,V,Moなどの炭化物形成元素は炭素量に対して十分多量に添加されているために、焼戻し時に析出する炭化物はMo2Cであると考えられました。Moは炭化物を形成しても多くが固溶していますが、海水環境中で隙間腐食や孔食などの影響が大きいところですからそれらを抑制するインヒビターとして添加されていることが考えられました。

Ni量の増大に伴い、NS110は室温まで平衡状態図のα+γ二相領域に存在することがわかった。この鋼種は焼入れ後焼戻しする際に、無拡散にオーステナイトへ逆変態することが知られており、これを冷却することで再びマルテンサイトに変態し、高い強度を得ることができる。さらに、焼戻し中にMo2Cを主とする炭化物が析出し、析出硬化も合わせて起きていると考えられる。最後に、α+γ二相領域で焼き戻すことで、拡散に伴い生成するγは焼戻し後の冷却に伴い再びマルテンサイトに変態する。

これらの熱処理によりα+炭化物+無拡散逆変態γ由来マルテンサイト+拡散逆変態オーステナイト由来マルテンサイトからなる組織になっていることが推測され、このために優れた機械的性質を示したと考えられます。

参考文献

書く上で本文中リンク記事及び以下の本を参考にしました。
谷野満, 鈴木茂. 鉄鋼材料の科学. 内田老鶴圃
牧正志. 鉄鋼の組織制御. 内田老鶴圃
小指軍夫, 制御圧延・制御冷却. 地人書館

2016年4月6日水曜日

VH鋼板の白目

お久しぶりです。もうちょい更新頻度あげられるかなと思ったんですが、ドライブ行ったり蒼き彼方のフォーリズムをやってたりしたらあっという間に2ヶ月経ってしまいました。だめだめです。

続・海軍製鋼技術物語を読んでてふと疑問に思ったことを今回は。
解決はしません。

知っての通り、日本で最も有名な戦艦である大和及び武蔵の二隻は世界最大の戦艦であります。

大和型は優れた防御力を有していましたが、その理由の一つとして最大410mm厚の舷側装甲板ですとか560mm厚の主砲防盾部、200mm厚のMo添加NiCr鋼製の水平甲板などが挙げられます。その設計とかその実際などは種々議論がなされているかと思いますが、個人的な興味は当時の特殊鋼製鋼にありますのでそこには触れません、というかほんとにわからないので触れられません。一方で、材料的な視点から見た資料はそれほど多くないように思います。いや、単純に調査不足と言われますと全くその通りです。

大和型の装甲で最も板厚を要求される部位には、イギリスのヴィッカース社より技術導入をしたヴィッカース鋼板の組成で浸炭を省略したVH鋼板と呼ばれるものが用いられています。具体的な組成はさておくとして、0.4C-4Ni-2Cr鋼と考えていて概ね良いかと思います。

この鋼板の製造プロセスあるいは、呉海軍工廠製鋼部の設備について詳しく書かれた本として海軍製鋼技術物語、続・海軍製鋼技術物語があります。筆者は戦中に東大冶金学科を卒業した後呉海軍工廠製鋼部で勤務し、戦後は日本鋼管(現JFE)取締役だった方で、1991年に日本鉄鋼協会で取りまとめられた「戦前軍用特殊鋼技術の導入と開発 : 旧陸海軍鉄鋼技術調査委員会報告書」の座長をされていました。

そういうわけで続・海軍製鋼技術物語は大変勉強になっているんですが、それを読んでいてVH鋼板のプロセスで疑問に思ったことがありました。

まず念の為に鉄-炭素平衡状態図を以下に示します。


JFE21世紀財団のものを使用させていただきました。

横軸は炭素の重量分率であり、縦軸は温度です。
ここで触れたいこととして、鉄は低温ではα相、高温ではγ相になり、それぞれ以下に示す結晶構造(BCC,FCC)を有します。δ相はα相と同様の結晶構造を有しますが、ここでは無視します。また、θ相はFe3Cという組成を持つ炭化物です。この状態図は各温度で保持した時の最も安定な相の構成を示しており、

1.炭素量が増えるとともにγ相単相の領域が低温側に拡大し、
2.炭素が添加されると低温でα相及びθ相の二相からなる領域ができる

ということがわかります。温度変化に伴うγ→α+θのような相の変化を変態と呼びます。

平衡状態図はあくまでもある温度で保持した時のものであり、冷却速度は考慮されていません。冷却速度が考慮されたものとして連続冷却変態線図(CCT)が、あるいはある温度の浴で焼き入れた後変態挙動を調べた等温変態曲線(TTT)があり、模式図を以下に示します。


横軸時間で縦軸温度です。

これはTTTに無理やり冷却を書きこんだものですが、図にかかれているように、α+θの変態が開始するよりもはやくγ単領域からマルテンサイト領域まで冷却することができれば、マルテンサイト単相を得ることが出来、この急冷処理は広く焼入れと呼ばれることは承知のとおりです。
さて、鉄炭素系のマルテンサイトはFCCの八面体位置に侵入した炭素によりマルテンサイト格子は伸長し、マルテンサイト組織には大量の格子欠陥が導入されるため高い降伏強度を有します。個人的な雑感なんですけど、マルテンサイトが出ると硬くなるという説明をするのとは逆に超弾性とか形状記憶合金とかのマルテンサイト変態が話される文脈をあんまり見ないんですけどどうなんでしょうね。同じ鉄のマルテンサイトでも加工性を高めるために使われるマルエージング鋼さんかわいそう。

とはいえ、大量の格子欠陥と格子ひずみを持つ鉄炭素系マルテンサイトはそのままでは伸び、靭性にすぐれないためにもう一段階処理されるのが普通です。次の処理は、温度をγ単相領域ではなく、α+θ領域(あるいはα+炭化物領域)で保持することにより、マルテンサイト中の過飽和な炭素が炭化物として析出し、強度-伸びのバランスに優れた高張力鋼を得ることが出来ます。この処理は焼き入れたものを再び戻すので焼戻しと呼ばれます。このような焼入れ焼戻し処理の温度プロファイルの典型例を以下に示し、今後これを用いた表示を用います。



さて、このような焼入れ焼戻し処理によって得られたα+θから構成される鋼と、γ単相領域から徐冷されることで得られるα+θから構成される鋼とでは、同じ構成相であるにも関わらず異なる強度、伸びを示すことが知られています。これは、焼入れ焼戻し処理によって得られたα+θから構成される鋼が以下の模式図のようにθ相がα相中に分散しているのに対して除冷によって得られた鋼は模式図(b)に示すような、α相とα相とθ相が層状になった粒を含むためです。


このような顕微鏡によって見られる相の分散状態などをざっくりとまとめる言葉として組織、あるいは微細組織という単語が用いられます。
つまり、同じα+θという構成相であるにも関わらず、焼入れ焼戻しされた鋼と徐冷された鋼の機械的特性が異なるのは、組織が違うため、あるいは微細組織が焼戻しマルテンサイト組織とパーライト組織と異なるためという事ができます。

前説が長くなりましたが、ここからが本題です。
海軍製鋼技術物語に書かれるプロファイルを書くと以下になりますが、当初の焼戻し温度で熱処理を行ったところ白目と呼ばれる欠陥が現れました。


当初の熱処理プロファイル

装甲に現れた白目の模式図。板中央部に白目が形成

白目は海軍製鋼技術物語にも書かれているように上部ベイナイト組織です。410mm鋼板は86tもある大型鋼塊ですので、油焼入れでは冷却に2時間程度かかっていたようです。ベイナイトは正直良くわからないので触れられません(Wikipediaが謎のまとまりかたをしているのでぜひ)が、パーライトが生成する冷却速度以上、マルテンサイトの上部臨界冷却速度以下の冷却速度で生じる中間組織です。ベイナイトは生成する温度で上部ベイナイト、下部ベイナイトの2つに分類することが出来ます。低温で生成するベイナイトが下部ベイナイト、高温で生成するベイナイトが上部ベイナイトと呼ばれます(議論のあるところですが)。下部ベイナイトは微細なθとαからなる均質な組織が得られる一方で、上部ベイナイトはフェライト粒間にフィルム上の炭化物が生じ、粒が下部ベイナイトに比べて粗大になるなどの理由から、非常に脆性なことが知られています。複数の強化手法による脆化/強化のバランスを示した図を以下に示します。


下部ベイナイトの優れた特性と上部ベイナイトの見事な弱化因子としての役割が見て取れます。東北大学金属材料研究所研究所の所長でもあった村上武次郎は学振第14委員会にxC-5Ni-2Cr鋼の完全マルテンサイトとなる上部臨界冷却速度及びマルテンサイトが生じなくなる下部臨界冷却速度の炭素濃度依存性を報告しており、その図を以下に示しますが、0.4C-4Ni-2Cr鋼はかなりギリギリを攻めていることがわかります。


ただしこの臨界冷却速度はマルテンサイトと下部ベイナイトを混同している可能性があることに注意を払う必要があります。例えば、NIMSにて無償で公開されている溶接用CCTデータベースにあります0.3C-3.5Ni-1Cr鋼(UH-6)では50秒以内でベイナイトが生成しており以後はベイナイトとマルテンサイトの混合組織となっています。このことからフルマルテンサイト組織を得ることは2時間の冷却速度では困難であることが見て取れます。つまり、この鋼種で焼きが入ったと記述されている時、それはマルテンサイトあるいは下部ベイナイトからなる組織であることに注意をする必要があるでしょう。この観点は実際、Japanese heavy armorの白目の項で組織は上部ベイナイトと下部ベイナイトからなる組織と説明されていることをよく説明します。なお、下部ベイナイトは均質なα+θ組織を作るので、焼戻し組織は焼戻しマルテンサイト同様良好な機械的特性を示します。
 上部ベイナイトを抑制するには上図からわかるように冷却速度を早くすることで抑制することができますが、海軍製鋼技術物語に書かれた上部ベイナイト抑制法は異なっています。呉海軍工廠製鋼部にて用いられた上部ベイナイト生成を抑制する焼入れ焼戻しのプロファイルを以下に示します。(Mo添加とかもγ/θで分配局所平衡とかになって上部ベイナイト抑制しそうなイメージが)


変更点は焼戻し温度が高くなり、690℃~700℃となったことで、その他に変更点はありません。

前説が長くなりましたが、今回の主題はなぜこれで上部ベイナイト組織が改善したのか?という点です。上部ベイナイトを焼き戻すと不均一な焼戻し組織ができるかなぁと思いますが、650℃で改善しないものが700℃に上げて改善する理由はあるかなぁ、というのが疑問です。アメリカ海軍がヒアリングを行った時の、VC鋼板の組成は以下の様なものだったようです。





さて、そんな疑問に応えるべく書かれたものとして続・海軍製鋼技術物語の元ネタとなったJapanese heavy armor(PDF)があります。Enclosure(C)のFig. 1で、NVNC鋼板のAc1点が調べられており、Ac1が705度、Ac3点が732度と得られています。個人的な感覚としてなんですが、このAc1点はかなり不思議です。種々の組成を持つ3.5NiCrMoV鋼のAc1点、Ac3点を以下の表に示します。

鉄と鋼,Vol. 76(1990),141-148pから抜粋

表の通りVC鋼板より低炭素、低Niな鋼板のAc1点は660度でして、VH鋼板のAc1点が700度というのは高すぎるように思います。このことを考える上でヒントになりそうなものとして、Japanese heavy armorあるいは続・海軍製鋼技術に書かれている「未溶解炭化物が多く見られた」という記述です。

球状化した未溶解炭化物は、本組成ですとθ相かM7C3相(M=Fe,Cr..)が考えられますが、現在ある資料のみではその同定は不可能なように思います。

いずれにしても、均一な焼戻し組織が得られる(焼入れ前に母相はγ相であった)一方で炭化物が残留していたということは、焼入れ前にはFe-C状態図上の(γ+θ)領域あるいは、より多元系では(γ+炭化物)領域にいたことを意味します。Hilertは計算によりFe-Cr-Cの870℃における等温断面図を得ていますが、Cr量の増加とともにγ単相領域は狭くなり、γ+θあるいは炭化物領域が低炭素側にシフトします。さて、γ+θ領域のγの組成は化学分析によって得られる組成ではなく、二相が平衡する組成ですので、γ形成元素である炭素の固溶量は当然γ単相領域より焼き入れた時に比べて減少します。すると、二相領域より焼き入れられた鋼のAc1点というのは化学分析組成よりも上がることが予想されます。そんなわけで、Ac1点は700℃より高くなったのでしょう。また、焼入れ性を改善するCrもFe3C中に分配されやすい元素です。

そうすると、焼き入れ温度を上げる事でより高い焼入れ性が得られたかもしれない…と考えることも出来ます。

さて、未溶解炭化物を含むVC鋼板はAc1点が700℃くらいということがわかりました。この鋼板を690℃~700℃で焼き戻していました。これによって白目(下部ベイナイト+上部ベイナイト混合組織)が概ね解決(解消)しました。
…まるで解決しない気がするのは自分だけでしょうか?

 例えば、焼入れ温度が低く未溶解炭化物が多く存在し、下部臨界冷却速度あるいは上部臨界冷却速度が本来の組成より減少していたために、下部ベイナイト+上部ベイナイト組織となっており、これを解消するために焼入れ温度を高めた結果、一様な下部ベイナイト組織が得られ、それを焼き戻すことで良好な焼戻し組織が得られた、などでしたらわかります。しかし、下部ベイナイト+上部ベイナイトの混合組織を、上部ベイナイトを消失させるために焼戻し温度を少し上げたためにうまく行きました、と言うのは自分の中では直接つながりません。

そういうわけでNiCrMoV鋼の等焼戻し時間での、機械的特性の焼戻し温度依存性についての先行研究を見てみますと、確かに焼き戻し温度が上昇するに従って機械的特性が改善し、特に高温焼き戻しと呼ばれる領域ではよく改善します。

これは単に過時効と見ることも出来ますが、初期の熱処理材よりも硬度、降伏点強度共に減少するものの、結果としては、初期の焼戻し温度での靭性(むしろ延性脆性遷移温度?)が初期よりも改善し、測定された温度において十分な延性領域になったためにうまく行ったものと考えられます。改善プロセス後も時々白目が出ていたと考えると、結局この辺が妥当なのかな、と。

なんだか夢のない結論になってしまいました。

ただ、疑問と成るのが700℃という焼戻し温度です。なぜなら、焼戻し温度が700℃というのはかなりAc1点に近く、特に焼戻しのような長時間等温保持される時には平衡状態図での変態点であるAe1点(<Ac1点)に近づくことが予想されます。そういう点から見ると一部、焼戻し厨に逆変態をし、γとなっている可能性も考えられますが、Japanese hevy armorにあるように、焼き戻し組織は均一な球状化セメンタイト+αであり、これは焼戻しはα+炭化物領域内で行われたことを示しております。


以上まとめまたものを以下に示します。



そんなわけで、自分が白目について疑問になったことでした。ありがとうございました。