2016年4月21日木曜日

NS110って、他と変わってませんか?

 流石に2ヶ月に一回とかは頻度少なすぎると思うのでもうちょっと頑張っていきます。
 前回は昔のニッチなところだったので今回は最近のニッチなところにフォーカスしたいと思います。

はじめに


 今回の記事の出典の多くは潜水艦用高張力鋼 NS鋼について(後編) & オーストラリアが日本の潜水艦技術に興味持ったワケ(dragoner.ねっと)様の記事を多く参考にしました。特に組成の表は書く上で非常な参考になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

まずは規格から


 さて、何はともあれ、ざくっと、日本が潜水艦用高張力鋼として使用しているNS80,90,110の組成及び機械的性質を以下の2表に示します。(いずれも規格値を板厚とかを無視してまとめたものです。


NS80,90,110の組成(規格値)

NS80,90,110の機械的特性(規格値)


また、この機械的特性を耐力について各国潜水艦の高張力鋼まとめwikiにあります潜水艦用鋼材の動向に上書きする形で書きますと、以下のようになります。


アメリカ及び日本の潜水艦用高張力鋼板の強度推移

NS110の耐力が、より規格の数字が大きなHSLA130の耐力より高いのはアメリカがヤード・ポンド法を採用していてksi(klbf/ in^2=6.89MPa)を用いている一方で日本はkg/mm^2(9.8 MPa)を用いているためです。(ヤード・ポンド法やめてほしい

 そんなわけで、日本の潜水艦用高張力鋼は耐力の面において世界トップの値を有していることは広く知られていますが、組織の面の話はあまりみない気がします。そこで、今回はそんなNS110の組成から類推される組織の話ができれば、と思っています。今回NS80,NS90は規格を読む程度で全然調べていないのですが、一般的なNi-Cr-Mo系調質鋼の前提で話します。

組成について


まず表1を見るとNS80,90とNS110の間には組成、特にNiが飛躍的に増大しています。組成と強度の比例関係を見ることはあまり意味が無いのですが、NS80からNS90ではNi量が1 wt.%程度の増加にとどまっているのに対し、NS90からNS110への20 kg/mm2の変化では実に5 wt.%増加しており、降伏強度の増加量に対して倍の変化量になっています。さらに、NS80からNS90では炭素量が増加し、焼き戻し時に炭化物を形成し降伏強度を向上させるMo量も増加しているのに対して、NS110では、炭素量はNS90の<0.12 wt.%から<0.08 wt.%へとより低炭素量へ移行しつつMo量は倍近い量になっています。まぁ、規格がすごい幅もたせているので、規格値でみてもあんまり意味は無いと思いますががが。というわけで製造実績値を持ってきますと、以下の表になります。

NS80,90,110の組成(実績値)


思ったよりちゃんと組成幅の真ん中にいるなぁというのと、以下という指定が来ているC,V,Nbが規定値ギリギリまで来ているのが大変よいですね。

Nbの添加


 NbがNS110から追加されたのは、いわゆるマイクロアロイングと呼ばれるものを目的としたと考えられます。

 一般的なC-Si-Mn鋼では、熱間圧延過程において、Nbの微量添加は絶大な効果を鉄に対して発揮します。まず、圧延初期では、微量の固溶しきっていないNb炭化物が、圧延中に再結晶するオーステナイト粒をピン留めし、オーステナイト粒の粗大化を抑制します。また、再結晶温度以下まで温度が低下した中で圧延を行う際には、粒内に微細析出したNb炭化物が再結晶温度を上昇させます。再結晶温度が上昇すると、熱延中のオーステナイト(前回のγ鉄)中の格子欠陥密度が増加し、オーステナイト粒中のフェライト生成サイトを増加させます。更に、オーステナイト→フェライト変態時のフェライト粒成長による結晶粒抑制も果たし、フェライト結晶粒を微細化することができます。わかりやすいのは新日鉄のものづくりの原点(PDF)とかでしょうか。

 Nb添加に伴うフェライト粒の微細化は溶接を必須とする造船業界に多大なインパクトを与えました。溶接性は、基本的に添加される合金量が少なければ少ないほど良くなります。一方で、強度をあげるためには普通C量を増大させたりMn添加を行ったりと、合金元素を添加することが普通で、材料強度をあげようとすると溶接性が悪くなるというあちらを立てればこちらが立たずという状況にありました。しかし、一般的な範囲では、材料の降伏強度は粒径が小さくなれば小さくなるほど大きくなることが知られており、仮に結晶粒のサイズを従来と同じ組成で小さくできれば、溶接性をたもったまま強度を向上させることが出来ます。ただ、この鋼種は焼入れを行うために、フェライトが途中で析出することはないため、結晶粒微細化による強化という観点ではそれほど大きくはないと考えられます。しかし、熱間圧延中の動的再結晶に伴う結晶粒微細化の程度は、再結晶温度が上昇することで大きくなると考えられます。そのため、焼入れ時のパケットサイズや旧オーステナイト粒界を小さくできるので、靭性に寄与すると考えられます。

Vの添加


Vも同様な効果を持っていますが、固溶状態における再結晶温度上昇率はNbには及ばず、前述の効果はそれほど大きくないと考えられます。しかし、NbCの溶体化温度は極めて高く、0.05 wt.%程度ですでに1000度を超えるため、Nbのみでは炭化物の量を多くすることが出来ません。一方で、Vはそれに比べると緩やかで0.5 wt.%程度まで、溶体化温度は1000度に到達しません。そういうわけで圧延中に析出するMX炭化物の量を大きくするためにVを入れ、フェライト粒の成長を抑えつつ(?)微細炭化物による析出硬化の寄与を大きくしたのかなと思います。こういう鋼は1969年ごろにNb-V系で出ていたかと思います。
 このようにNS110鋼ではNb,Vの添加によるマイクロアロイングが用いられましたが、基本的に、このマイクロアロイングの効果を発揮させるためには圧延温度や圧延率、及び冷却速度の制御が重要であり、このような一連のプロセスを加工熱処理あるいは、英語の頭文字をとってTMCPと呼びます。NS110の規格には加工熱処理を用いても良いと書いてありますが、Nb,Vを添加していて加工熱処理を行わないのはありえないでしょう。

炭素とMo量の比較


 次に、炭素量について見てみたいと思います。炭素は炭化物による析出硬化の有用な元素です。本鋼種の成分のうち、炭化物生成元素としては、Cr,Mo,Nb,V,Feがあります。このうち、Mo,Nb,Vは強い炭化物形成元素で、Mo2CやNbC, V(C,N)などを作りFe3Cには固溶しないので、炭素量とこれら3つの元素について添加量のモル比を取るとそれぞれ、
f(Nb/C) = 1.84 %
f(V/C) = 35.5 %
f(Mo/C) = 162 %
であり、炭素に対して炭化物生成元素が過剰なので、セメンタイトは生成せず、圧延中に析出するMX炭化物および、焼戻し時に析出し焼戻し硬化を引き起こす代表的な炭化物であるMo2Cが、主たる析出硬化を引き起こす炭化物であることがわかります。一つ、疑問として残るのが炭素量に対してかなり過剰となるMo量です。焼入れ時の板厚依存性の低減や焼戻し脆性の低減など固溶原子としても優れた特性のあるMoですが、焼入れ性を向上させるNiが従来より多い割合で入っているにもかかわらず、従来鋼以上に過剰にするというのはどういう効果があるんでしょうか?海水環境中なので隙間腐食や孔食などの影響が大きいところですから、それを防ぐインヒビターとしての添加量を増やしたというもあるかもしれませんが、ちょっとすぐにはわかりません。

Ni量に伴う、状態図における変化

無拡散逆変態オーステナイトでできる組織


 さて、以上Nb,V,Moについて見てきましたが本題のNiについてです。NS110の規格解説7. 試験を読んでいると「強度強化機構として無拡散型逆変態オーステナイトを利用しているため」とあります。前回書いた記事に一度立ち返って考えてみますと、焼入れによって無拡散に(炭化物などの形成なく、母格子と一定の対応関係を保ちながら)マルテンサイト相へ変態するのが無拡散変態でした。その逆ということは、マルテンサイトと一定の対応関係を保ちながらオーステナイト変態を行うということになるかと思います。そのような述べた話として、逆変態によつて生じたFCCマルテンサイト低炭素低合金鋼の逆変態や無拡散逆変態オーステナイトを用いて熱処理することで低温用9Ni鋼の基礎となっている熱処理(の報告)とかがあります。

 このような無拡散型逆変態オーステナイトを生成するためにはある程度高温に保持する必要があります。規格を素直に読むと、この無拡散型逆変態オーステナイトを生成させる熱処理は焼戻しに対応しています。焼戻しに伴い無拡散に逆変態するオーステナイトは、マルテンサイトの格子欠陥を受け継ぎ高い転位密度を持ったまま冷却され、再びマルテンサイト変態を起こします。この逆変態はゆるやかに進行するようで、J.J. Kimの報告では600度100時間の焼戻し後も、焼戻しマルテンサイト中に存在しています。逆変態後は拡散に伴い、炭化物が微細析出しています。マルテンサイト由来の格子欠陥と焼戻しによる微細析出物の影響により、この焼き戻に伴い生成した無拡散型逆変態オーステナイト由来マルテンサイト(すごい用語です)は高い強度を有し、さらに周囲には焼戻しマルテンサイトが存在します。

状態図としてのNi量の特異性


上の段落は実のところ、無拡散逆変態オーステナイトという単語を見なければ鉄炭素系の焼戻しと大差ありません。最後に、以下の図を元に高Niマルテンサイト鋼の焼戻しについて考えて終わりたいと思います。

二相域焼戻し温度とγ中Ni量

 この概略状態図は鉄-Ni状態図だと思ってもらえればよいです。実線はα相(フェライト相)とγ相(オーステナイト相)の相境界で、実線の間はα+γ二相領域になっています。また、二相領域中に存在する点線は、マルテンサイト開始温度の組成依存性を示しています。前回の記事でお見せした鉄炭素系と異なり、共析反応がないために低温までα+γ二相領域は持ち来たされます。つまり、焼き入れ時の本来の平衡相はα+θではなくα+γということになります。つまり、焼戻しの進行とともに旧オーステナイト粒界やその他の粒界を分断するような形でオーステナイトが拡散に伴い通常の析出をします。この焼戻しを行う温度について考えてみましょう。

 ある温度T1で焼戻しを行う時、αと平衡するオーステナイト相のNi濃度は図中赤点になります。T1より少し高いT2点で平衡するNi量は少し減って青点の位置になります。マルテンサイト開始温度はNi濃度に伴って低下していき、ある濃度以上で(ある焼戻し温度T3以下で)マルテンサイト開始温度は室温以下になります。さすがに室温でオーステナイト相が残留しても強度の観点からは困りますので、NS110ではT3以上の温度で焼戻しを行っていると考えられます。その結果、マルテンサイトの構造を受け継いだ無拡散逆変態オーステナイトのマルテンサイトと、微細なα+炭化物と、粒界を分断するように微細に形成されたマルテンサイトからなる組織が得られ、優れた機械特性を持つNS110鋼が出来たと考えられます。

まとめ


まとめます。
NS80,NS90鋼は従来の焼入れ焼戻しによる調質鋼の発展形でしたが、NS110鋼は従来鋼に対し、高Ni量であり、新たにNbが添加されました。Nbはマイクロアロイングを目的としたものでありTMCPの適用を前提とした合金設計になっていることがわかりました。また、Nb,V,Moなどの炭化物形成元素は炭素量に対して十分多量に添加されているために、焼戻し時に析出する炭化物はMo2Cであると考えられました。Moは炭化物を形成しても多くが固溶していますが、海水環境中で隙間腐食や孔食などの影響が大きいところですからそれらを抑制するインヒビターとして添加されていることが考えられました。

Ni量の増大に伴い、NS110は室温まで平衡状態図のα+γ二相領域に存在することがわかった。この鋼種は焼入れ後焼戻しする際に、無拡散にオーステナイトへ逆変態することが知られており、これを冷却することで再びマルテンサイトに変態し、高い強度を得ることができる。さらに、焼戻し中にMo2Cを主とする炭化物が析出し、析出硬化も合わせて起きていると考えられる。最後に、α+γ二相領域で焼き戻すことで、拡散に伴い生成するγは焼戻し後の冷却に伴い再びマルテンサイトに変態する。

これらの熱処理によりα+炭化物+無拡散逆変態γ由来マルテンサイト+拡散逆変態オーステナイト由来マルテンサイトからなる組織になっていることが推測され、このために優れた機械的性質を示したと考えられます。

参考文献

書く上で本文中リンク記事及び以下の本を参考にしました。
谷野満, 鈴木茂. 鉄鋼材料の科学. 内田老鶴圃
牧正志. 鉄鋼の組織制御. 内田老鶴圃
小指軍夫, 制御圧延・制御冷却. 地人書館

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